大牟田ロータリークラブ誕生及び創立状況
大牟田ロータリークラブ創立20周年記念誌
初代・第2代会長 村尾信逸氏 記述より抜粋
大牟田ロータリーも昭和29年6月1日に呱々の声を上げましたが、その誕生に至るまでにも、いろいろな紆餘曲折があったことは申す迄もありません。当時私自身、福岡や久留米の先輩や友人から累々クラブ設立を勧められましたが、ロータリークラブというものは自分たちには高嶺の花で、途方もないことだと笑って辞退の返事を していました。しかし、当時人口19万を有し、しかも一流の大会社や有力な実業家、多数の文化人がひしめいている大牟田市に、ロータリークラブが存在していないのを黙認する わけにはゆかない、と動きが出始めたのが昭和28年で、福岡クラブの中牟田喜兵衛氏他数人の有志が大牟田クラブ設立の議を勧め、また同年3月頃久留米クラブでも武田胤雄氏が 中心になって、大牟田クラブ設立のことを公式の議題として論じておられた事実があります。
このようなクラブ設立のことは主として宮村氏を通じて呼びかけがあり、そのため同年10月頃2~3人の方が同市を訪れました。以上の時期までは、大牟田有志の反応を伺う程度で ありましたが、具体的には昭和28年11月京都の絹川氏が単独で自案を作り、円仏、宮村、村尾他2~3の方々を訪問され、設立を勧められたのが始まりであります。この運動は翌年 3月頃まで続き、昭和29年4月20日絹川氏と田中(忠)、円仏、執行、中河原、宮村、村尾の面々が松屋に集まり、第1回の会合をして設立することに踏み切ったのであります。
しかし、それまでの枇話人の苦労は大変なものでした。会社関係の了解は当時三井染料副社長森栄氏と三井三池鉱業所長川上亀郎氏の手を経て話をすヽめて頂きました。 4月末日絹川氏の立会のもとに世話人が設立の意を決するまでには一方ならず心配致したのであります。この間、陰にあって鶴、永井氏などが、自ら福岡の実業家方面の意向を確認して いただきましたが、設立が決定してからは田中時政氏など久留米の例会に出席していただいたりして、内外両面の準備を慎重に進めていただきました。その後は一潟千里の勢で設立の 実行に移りました。
- 第一に福岡R.C.松田氏の勧めでロータリーの年度末6月30日までに設立完了の予定で準備を進めること。
- 準備委員は経済クラブを基礎として田中市長、鶴惣市氏、永井益太郎氏、円仏末吉氏、執行種治氏、田中時政氏、宮村勝夫氏、村尾信逸を選びました。
- メンバーは主として経済クラブと商工会議所関係の有志を選ぶこと。
5月上旬上記の委員は数次松屋内経済クラブに集合、主としてチャーターメンバーの選出などを協議し、他方福岡R.C.松田氏とも連絡して書類の準備を進めました。5月11日松田氏の 来牟を求めて全準備委員と松屋で会合、同氏指導のもとに設立準備を完了しました。即ち収支明細書、職業分類表名簿など必要な各種書類を製作しました。以上で大牟田ロータリー 仮クラブの結成準備が完了し、5月15日その旨を久留米及び福岡クラブに通報いたしました。早速福岡クラブの松田氏から祝詞をいただきました。
かくして産みの悩みにあえいでいた大牟田クラブも、各地ロータリアンと各クラブ、殊にスポンサークラブの好意と指導によって結成を完了したのであります。 続いて5月28日松屋食堂において準備委員会を開催し、翌日チャーターメンバーを選定6月1日大牟田ロータリー仮クラブ発会式を行うことを決定しました。たゞこヽで附言しておかねば ならないことは、創立完了するまで御尽力いただいた当時の三井三池鉱業所長川上亀郎氏及び三井三池港務所長平賀秀一氏が夫々栄転のため、チャーターメンバーには後継者の佐藤健二氏、 立石光顕氏に変更されましたことでした。
銘記すべき大牟田ロータリー仮クラブの発会式が、6月1日松田昌平理事(福岡スポンサークラブ)司会のもと厳粛の裡に行われました。その状況は別記の通りですが、絹川、松田氏などに よって準備された国際ロータリー加盟申請書は、5月下旬第61区ガバナー北沢敬二郎氏の手を経て米国の国際ロータリ一本部に送られましたが、特に北沢ガバナーは年度内に承認を受け られるように、本部に電報で要求していただいたことなど、その御好意と特別な思いやりを感謝したいと思います。このようにして6月30日晴れて国際ロータリーの承認を得ることが できました。
1954年(昭和29年)6月1日
大牟田ロータリークラブ創立
スポンサークラブ/福岡R.C.※
特 別 代 表/松田 昌乎氏(福岡R.C.)※
ご指導戴いた方々/京都R.C.:絹川 清氏
〃 /福岡R.C.:中牟田 喜兵衛氏
〃 /久留米R.C.:武田 胤雄氏
ご指導戴いたクラブ/福岡R.C.・久留米R.C.
国際ロータリー第61地区ガバナー/北沢 敬二郎氏(大阪R.C.)
大牟田ロータリークラブ会長/村尾 信逸氏
チャーターメンバー29名
国際ロータリー加盟通知書
県内では福岡R.C.、門司R.C.、小倉R.C.、久留米R.C.に次いで5番目。日本では、戦後134番目の創立でした。創立祝として福岡、久留米より大型ロータリー旗を戴きました。
※注)今回上記の国際ロータリー加盟通知書を調査した結果「SONSOR CLUB:Fukuoka」「SPECIAL REPRESENTATIVE:Shohei Matuda」との記載があり、記念式典。
祝賀会後に判明し、スポンサークラブ、特別代表、当時のガバナー表記を改めました。
創立までの経過
(1)昭和29年4月20日松屋百貨店に於いて田中忠蔵氏、村尾信逸氏、圓佛末吉氏、執行種治氏、中河原敬祥氏、中村勝男氏の6人で発起準備会が開かれました。
(2)昭和29年5月28日松屋百貨店に於いて正式発起人会を開催し、定款及び細則を定め理事を選任しました。
6月30日/国際ロータリー加盟承認
1955年 日本を4地区に分割
これまでの2地区、第60地区、第61地区(福井、滋賀、京都、奈良、和歌山、以南から鹿児島まで)を4地区に分割。第60地区、第62地区、第63地区、第64地区として、当クラブは岡山、 鳥取、以南、から鹿児島までの第64地区に所属。
1955年(昭和30年)5月12日(創立翌年)
国際ロータリー加盟承認状伝達式
(於 松屋百貨店)
小菅ガバナーと第二代村尾会長
チャーターナイト
出席者:国際ロータリー第61地区小菅金造ガバナー、佐藤福岡R.C.会長(スポンサークラブ)、倉田久留米R.C.会長、京都R.C.絹川清氏、福岡米国領事館領事デイムスマーヂン氏、 大牟田市長及び荒尾市長、他クラブの来訪者102名、当クラブの会員及び家族75名。(総数177名)
1957年 日本を5地区に分割
日本を4地区から5地区に分割。当クラブは、九州7県と山口県から成る第370地区に所属。翌年1958年には、さらに6地区に分割されましたが、当クラブは引き続き九州、山口8県 から成る第370地区に所属しました。その後1964年には、10地区に分割。さらに1968年には14地区に分割され、福岡県、佐賀県、長崎県から成る第370地区に所属となりました。
1957年(昭和32年)9月20日
大牟田市に「平和の像」を寄贈
大牟田駅前に建立された平和の像
平和像贈呈の経緯
昭和32年9月の月次報告に、当時ロータリー幹事古賀栄一君の記録を記すと「1957年大牟田市制40周年記念博覧会にわがロータリーは駅前広場に平和記念像を建設、市に寄贈、 同年9月20日ロータリー会員、細谷市長、市議会議員、市関係者、大牟田駅長など多数の名士出席のもとに贈呈式、開幕式を行う・・・」とある。その贈呈の経緯ついては知る人が 少ないので、精しく記す。
博覧会開催の議が決定すると同時に顧問会が設置された。メンバーは市馬場総務部長、長谷川三井三池鉱業所総務部長、それと村尾の合計6名にて構成し、長谷川、村尾は三井関連 事務所と市経済人との連絡に当たることになった。長谷川君は主として三井鉱山並びに関連会社に製品と展示場建設に努力成功された。しかし私に課せられた主な仕事は平和像の 建設と寄贈の問題であった。市には平和像設立の予算が伴っていなかったので、だれかの援助がなかったら計画の実行は不可能であった。それで市長と馬場君が僕と長谷川君に 予算72万円の調達を懇願した。
しかし三井会社側は己に展示会場の設立を受諾していたので、市民側で平和像の設立を引請ける以外に策がなかった。市側の懇請もあったが、私が 心を動かしたのは川崎老先生の教え子である植木力君のために、大牟田芸術発展を願って、市民側の協力を求められたことであった。それで私は、円仏君、宮村君に相談して72万円 調達のことを協議、とにかくロータリー会員に一応協力を求め、不足の分は3人で責任を持つことにして、市に対して受諾の返事をし、駅前に立派な平和像ができることになった。 72万円中30万円はロータリー会員有志より戴き、42万円は円仏、宮村、村尾の3人で責任をとり、都合よく運んだことを感謝している。
1961年(昭和36年)
国際ロータリーより東半球賞受賞
ロータリークラブと三池争議
1959年秋より翌60年秋まで約1年、エネルギー革命の波をまともに受けて石炭の街、大牟田・荒尾両市は「労資対決の試練」とも「共産革命の演習場」ともいわれる大争議の中に ありました。スト参加者1万7千、オルグ常駐数千、数万と称するデモが頻発し、九州一円から動員された警官はピーク時には1万名に及び治安維持に全力を傾注しましたが、毎日の ように重軽傷を出す惨事となりました。大牟田ロータリークラブは、早期解決のため経済クラブ、商工会議所、青年会議所等とともに、27団体約2000名を有する「大牟田再建市民 運動本部」を結成し、積極的に市民運動を展開しました。
運動本部会長は圓佛末吉氏(大牟田R.C.前年度会長)、副会長には城崎栄之助氏、総務は友清健児氏等、各部署をそれぞれロータリアンが担当し、各種団体の動員や上京団を数度編成。 政府各機関、国会、報道機関はじめ中央労働委員会等に折衝を繰り返しました。
悪夢の1年が過ぎ、石田労相の仲介で争議は妥結、12月1日に至り生産は再開し街に陽が輝き始め、翌年4月には、市民運動の会長、圓佛末吉氏が市長に就任しました。執行種治会長は、 鹿児島での第370区年次大会で、体験報告として「地域社会の民主主義進展のためには”金持ち喧嘩せず”の態度を脱却し、火中の栗を拾う積極性も必要ではなかろうか」と発言され、 カウンセラー君島博士から「良識と勇気とは並列さすべきである」とのご講評を受けました。
増永茂己ガバナーは「私の任期中の最大の奉仕だった」と国際ロータリーに上申。日ならずして東半球賞という最高の栄誉ある表彰を受けました。顕彰の文面には「ロータリーの鑑」 とありました。
1961年(昭和36年)5月4日
柳川ロータリークラブ誕生
執行種治会長のとき、当大牟田クラブがスポンサークラブとなって名苑「御花」にて5月4日発会式挙行。特別代表は村尾信逸氏。
1962年(昭和37年)3月8日
第370地区E班インターシティ・ゼネラルフォーラム
古賀栄一会長のもと、当クラブがホストクラブとなって大牟田商工会議所で開催。
1964年(昭和39年)6月4日
創立10周年記念式典(於 港クラブ)
JR大牟田駅の大時計
参加者109名(来賓39名・会員婦人23名)
第370区ガバナー/嘉村 平八氏
パストガバナー/進藤 誠一氏
〃 /増永 茂己氏
分 区 代 表/武田 胤雄氏
特 別 代 表/松田 昌平氏
会 長/弘中 佳夫氏
10周年を記念してロータリークラブを形どった大型電気時計を大牟田駅に献納。
10周年記念誌創刊。
1965年(昭和40年)2月23日
国際ロータリー60周年を記念して、
有明高等専門学校に樹木寄贈植樹
1967年(昭和42年)8月7日
大牟田南ロータリークラブ誕生
友清健児会長のとき当クラブがスポンサークラブとなって、大牟田南ロータリークラブが誕生。
特別代表は圓佛末吉氏。
1969年(昭和44年)6月2日
創立15周年記念式典
(於 三井グリーンランドホステル(現ホテルブランカ))
会 長/中原 忠氏
参加者79名(来賓13名、会員夫人20名)
15周年を記念して甘木山公園及び延命公園に桜の木500本を植樹寄贈。市民憩いの場に春には桜の花が親しまれています。
1974年(昭和49年)4月17日
創立20周年記念式典(於 だいふく)
会 長/柿原 善治氏
参加者91名(来賓23名)
新築の大牟田市体育館に大時計、壁掛時計19個を寄贈。愛の献血活動に学校ぐるみで協力した大牟田高校に感謝状と記念品を贈呈。甘木山学園に机と椅子を寄贈。創立20周年 記念誌を刊行。
1977年 日本を22地区に分割
日本を22地区に分割。当クラブは、福岡県、佐賀県、長崎県から成る第270地区に所属。また、1983年には、第270地区は、福岡県と鳥栖市、壱岐、対馬で形成され、それ以外の 佐賀県、長崎県の地域は第240地区として分割されました。
1977年(昭和52年)8月2日
阿蘇青年の家第1回サマーキャンプ実施(阿蘇青年の家)
~大牟田少年少女サマーライフの変遷~
大牟田少年少女サマーライフは、当クラブ並びに大牟田市教育委員会・青少年育成県民会議大牟田の主催、大牟田南ロータリークラブ・国債ソロプチミスト 大牟田の共催・協力 の下、昭和54年にその歴史をスタートしました。
実はその遡ること2年前の、1976-1977ロータリー年度(昭和51~52年)に当クラブは青少年健全育成を目的とした野外活動を計画し、 第1回大牟田市中学校サマーキャンプ(参加者85名、8月2日~4日、2泊3日)を国立阿蘇青年の家において主催しており、翌年度にはその第2回(第1回と同所、参加者95名、7月31日~8月2日、 2泊3日)が実施されております。
その同年8月に、青少年育成会議大牟田支部が参加者82名(中学生+指導者)を経て、1泊2日でサマーキャンプを開催しており、この2つの事業を基に、 翌年昭和54年(1978-1979ロータリー年度)に国際児童記念事業として「大牟田少年少女サマーライフ」(当時対象は小5~中3、第4回目より小4~)が始まったものです。
以来、30年間に渡り、1年も途絶えることなく実施され、平成20年の第30回(宮崎県青島少年自然の家、参加者207名、8月2~4日、2泊3日)をもって幕を閉じました。この間上記の 団体の他、福岡県青年の船の会、同大牟田支部、大牟田北ロータリークラブ(平成1年より)、大牟田レクリエーション協会、青少年野外活動指導者グループなど多くの団体を巻き込み ながら、平成4年よりサマーライフ実行委員会が組織され、営々と開催され続けました。
長い歴史の中で、団員として参加した児童・生徒たちが長じてリーダー、指導者として参加するようになり、指導者会・リーダー会も組織され、通計延べ参加人員5821名を数える 大事業であったといえます。当クラブは、30年間主催者の一員としての関わりとともに、15回の団長、7回の副団長の役も担い、本研修(2泊3日の実施日のこと)には毎回会長・幹事を はじめ多くの会員が激励に訪れました。大牟田ロータリークラブの継続事業として位置づけられ、青少年奉仕委員長は理事メンバーになることが望ましいとされていたほどでした。
開始当時は先駆的取り組みといえた異年齢集団での野外活動・集団宿泊体験の場としてのサマーライフも、徐々に各学校・地域での同様な取り組みも増加し、その存在意義が薄れて きたこと、永年事務局を担ってくれた大牟田市教育委員会の担当部局にも経費削減の嵐が吹き荒れたこと等により、残念ながら平成20年(2008-2009ロータリー年度 安藤謙治会長) 第30回をもって終了のやむなきに至った訳ですが、今でも当時参加された会員からは当事業を懐かしむ声が多く聞かれます。
1979年(昭和54年)6月5日
創立25周年記念式典(於 だいふく)
会 長/蓮尾 英二氏
参加者91名(来賓29名)
延命公園入口に総合案内板設置(大牟田南ロータリークラブと合同)。大牟田駅前の「平和の像」の修復と水銀灯の修理。
1984年(昭和59年)2月12日
インターアクト(大牟田商業高校)認証状伝達式
1962年(昭和37年)よりロータリークラブに高校在学生を対象として、奉仕と国際理解を深めるための世界的連帯において、協同活動を行う機会を与えることを目的としたインター アクトクラブ結成の機運が興りました。1967年(昭和42年)、ガバナー公式訪問の際、県下でも高校数の多い大牟田に白羽の矢が立ち、当クラブも友清健児会長、森正三郎青少年委員長を 中心にしない各高校にインターアクト設立のお願いに廻りました。しかし、インターアクトの件は取り上げて貰えませんでした。依頼17年、地区よりの要請もあり、地道な運動努力の結果、 創立30周年の記念すべき年に大牟田商業高校にインターアクトクラブを誕生させることができました。
結成にあたっては、大場校長先生のインターアクトに対する理解と、顧問の先生方の熱心なご指導により、生徒諸君の積極的参加につながったものであります。また、平成6年8月23日・ 24日には、大牟田商業高校をホスト高校として、インターアクト指導者講習会が開催されました。国内179名、韓国インターアクトクラブより24名の参加がありました。
以後役20年間大牟田商業高校のインターアクトクラブは、地域で様々な奉仕活動を続けましたが、生徒数の減少等諸事情により、2004年(平成16年)にその活動に終止符を打ちました。 平成16年9月7日の当クラブ例会時に大牟田商業高校インターアクトクラブ提唱終結式が行われました。
1984年(昭和59年)6月10日
創立30周年記念式典(於 だいふく)
会 長/大田 裕典氏
参加者103名(来賓31名)
創立30周年を記念し、1986年完成予定の大牟田文化会館へ太陽電池時計塔と緑化事業費(40万円)を寄贈。創立30周年記念誌を刊行。
1987年(昭和62年)4月18日
国際ロータリー第270地区年次大会主管
(於 大牟田文化会館)
会 長/久野 脩氏
地区大会委員長/城崎栄之助氏
コ・ホストクラブ/大牟田南ロータリークラブ
参加者1900名
1988年(昭和63年)
横倉弘吉氏
国際ロータリー第270地区ガバナー就任
地 区 幹 事/永井 益男氏
地 区 会 計 長/末安 章氏
副 幹 事/長崎 光夫氏
〃 /森 博志氏
〃 /橋本 雅氏
〃 /泉 博士氏
ガバナー就任のご挨拶
昨年1月、思いがけず浅学菲才の私にガバナー、ノミニーのご指名を頂きました。責務の重大さに驚き、逃げ腰になりましたが、30年近くもロータリーの席を与えて頂いて、まだ奉仕が 足りない、もっと奉仕をさせてやろうとの温かい先輩各位のご配慮と、有難く光栄に存ずる次第であります。先輩各位のご指導と同輩ロータリアンのご援助、ご協力によりまして、 今日までやってまいりました。
3月までは、毎日の仕事の他に福岡県教育委員長という大役も免れることが出来ず、不勉強でありました私は毎日受験勉強のようでありましたが、2月20日よりのナッシュビルでの 9日間もどうやら無事クリアーすることが出来ました。世界161ヶ国465地区のガバナーノミニーの方々と共に、良い勉強をさせて頂きました。日曜の午前をのぞく他は、毎日午前、 午後共、本会議とグループセッションの連続でありました。お蔭様で多くの優れた方々と友情を育てることが出来ました。
帰国後3月21日には、大牟田南クラブのホストで、会長エレクトセミナーを催し、時期RI会長ロイス・アビー氏の方針をお伝えしました。又、5月1日には連休中にも拘らず、大牟田 クラブのホストで地区協議会を催しましたが、先輩、同輩のロータリアン各位の絶大なご協力で、沢山の方々が熱心に勉強して頂き、心から感謝申し上げる次第であります。又、両 ホストクラブのご苦労に深謝いたします。
※ガバナー月信(1988年7月1号)より抜粋
大牟田ロータリークラブ創立35周年
会 長/稲田 公雄氏
創立35周年を記念して市民の森に大牟田市の花である、やぶつばき植樹寄贈。
1988年(昭和63年)12月29日
大牟田北ロータリークラブ創立総会
第270地区横倉弘吉ガバナーのご提唱により、稲田公雄会長のとき、大牟田北ロータリークラブが誕生。特別代表は江口建策氏。
1989年(平成元年)3月10日
国際ロータリー第270地区
第4、5区I、G、Fを主管(於 大牟田文化会館)
分 区 代 理/大賀 茂幸氏
ホストクラブ会長/稲田 公雄氏
参加者289名
1991年 日本を31地区に分割
日本を31地区に分割。当クラブは第2700地区に所属。
1994年(平成6年)6月23日
創立40周年記念式典(於 新みなと)
参加者123名(来賓45名)
記念事業として、諏訪公園にソメイヨシノ100本植樹、植樹記念石碑建立。
1997年(平成9年)3月
国際ロータリー第2700地区
第5分区インターシティミーティング主管
(於 大牟田文化会館(小ホール))
分 区 代 理/友清 博氏
ホストクラブ会長/長崎 光夫氏
2001年(平成13年)8月3日
宮地歌織さん
倉田圭爾会長のとき、ロータリー財団国際親善奨学金制度で、
宮地歌織さんを語学研修の留学として英国サセックス大学に送りました。
2004年(平成16年)4月10日
国際ロータリー第2700地区
第7グループインターシティミーティング主管
(於 オームタガーデンホテル)
参加者約224名
ガバナー補佐/長崎 光夫氏
ホストクラブ会長/椛島竹千代氏
I.M.実行委員長/圓佛 洋右氏
インターシティミーティング
佃ガバナーの「ロータリーの本質に目を向けよう」を全体のテーマとして、ロータリーの基本理念、変わってはならない本質への理解を深めることを大会趣旨として開催されました。 第一部では、「共に語ろうロータリーを!」のスローガンのもとで全員参加型のシンポジウムを開催。第二部では、「ロータリーの心を尋ねて」という題で松田尊文パストガバナー による講演が行われ、参加者にとってはロータリーを語り、理解を深めることができた有意義なI.M.となりました。後日、当クラブより松田パストガバナーの講演録「ロータリーの 心を尋ねて」が発刊されました。
2004年(平成16年)6月5日
創立50周年記念式典
(於 オームタガーデンホテル)
会 長/椛島 竹千代氏
実行委員長/大林 孚雄氏
参加者242名(来賓69名)
会員物故車追悼式 6月1日 延命寺
記念事業/第1回西日本中学駅伝競走大会
平成15年12月14日
平成13~14年度、圓佛会長年度に入り、第50代会長予定者椛島氏をはじめ有志の中で大牟田ロータリークラブ創立50周年への取り組み、とりわけ記念事業に関し、”中学駅伝競走大会 を開催しては”との話が挙がり、実現可能か否か検討をすすめて参りました。そして、平成14年2月、大牟田ロータリークラブ創立50周年準備委員会が設置され、記念事業として中学 駅伝競走大会が「ロータリーの奉仕の本質」にふさわしい事業なのか、また運営・資金面等で継続可能な事業なのか、本格的な議論が重ねられました。
その結果、ロータリーの奉仕活動は”ロータリーの奉仕の心を育てながら個人奉仕が原則”とは言われておりますが、50年に一度の記念事業ということで、「奉仕の実践を全会員で力を 合わせて取り組むことが出来る事業」、「会員が真に誇りに思えるような事業」、「ロータリーの広報に役立つ事業」、そして何より「大牟田の街づくり、人づくりに貢献できる事業」 という想いで、同年11月に大牟田ロータリークラブ創立50周年記念事業として、「西日本中学駅伝競走大会」の開催が決定しました。
開催にあたっては、大牟田市体育協会・陸上競技 協会・中学体育連盟などの協力団体と運営やコーチ選定、開催時期の調整等々の協議も併せて行い、福岡県警・大牟田警察署のご理解とご協力により、新規に道路使用許可を得ること が大変厳しい状況の中、コースの道路使用許可を得ることができました。
翌年平成15年5月には、大牟田市・大牟田市教育委員会・大牟田市スポーツ都市宣言推進協議会・西日本新聞社・大牟田市体育協会・大牟田市陸上競技協会他の協力団体による、西日本 中学駅伝競走大会実行委員会が組織されました。そして、平成15年12月の駅伝競走大会当日まで、足かけ2年にわたり、各方面への後援・協力依頼、日本陸連公認コースへ向けての コース申請、九州・山口の中学駅伝競走各県大会に出向いての広報・参加校誘致活動、新聞・テレビ局への取材依頼、企業等への広告協賛金のお願い、多数の市民への参加とご協力の お願い等々に、関わった会員・関係者の延べ人数・費やした時間は膨大なものとなりました。
老・壮・青の全会員が力を合わせ、困難を乗り越え問題を一つ一つ解決していきながら、平成15年12月14日、女子23チーム・男子25チーム、その中には大牟田選抜男女各チームの参加 もあり、第1回西日本中学駅伝競走大会を開催しました。襷をつなぎ懸命に走る選手、市民約2万人が一生懸命旗を振りながら沿道から送る熱き声援、沿道で警備をしているボランティア の人たち、駐車場の誘導をしている会員の姿。県警交通機動隊と大牟田署の白バイ10余台の先導により、市街地の公認コースを走り抜ける子の駅伝競走大会は、選手・観衆・運営に 携わるすべての人々が一体となっての、まさに感動の一日となり、無事成功裏のうちに終了することができました。
大牟田では、古くは正月明け早々、市役所前を発着点とする大牟田五周駅伝が開催されたり、九州一円駅伝には福岡県代表選手を地元から輩出し、同大会で筑後路を走る選手たちへの 熱狂的声援は、今でも目蓋に焼きついて離れません。また、全国高等学校駅伝競走大会において5回の全国優勝を誇る強豪大牟田高校の地元でもあり、駅伝ファンの多さは全国有数と 言われています。この様な大牟田の土壌の中で生まれ育った大会は、本年(2014年)2月に第11回目を迎えましたが、女子39チーム・男子55チーム、計94チームもの参加があり、地元 大牟田からも男女9チームが参加するようになった。
一方この間には、大会日程や競技方法の変更がありました。第1回大会以来、12月に開催されてきましたが、12月には九州大会・全国大会があり、日程的に参加困難な学校もあったため、 一長一短はありましたが、第5回大会からは2月開催に変更となりました。それに伴い1・2年生による新人戦に、3年生選手もいたのではないでしょうか。また、市街地コースのために 安全上の配慮から、平成24年第9回大会よりイオンモールを発着点とする現コースへと変更が行われなました。
これまでの大会参加者の中からは、地元大牟田高校や他県代表として都大路での全国高校駅伝競走大会に、また正月の箱根駅伝に出走する生徒も数多く見られるようになりました。一方、 地元中学校での陸上競技レベル向上も目覚ましいものがあり、筑後地区・県大会に於けるトラック中・長距離や駅伝競走大会での活躍が多数見られるようになってきました。今後も地元 大牟田だけでなく、広く九州山口各県の中学生ランナーの競技力向上に役立つ大会、そして、「街づくり・人づくりに貢献できる大会」に育っていくよう願っております。
創立50周年を記念して始まったこの大会が、実行委員会の皆様の多大なるご尽力により継続・発展して参りましたことに心より敬意と感謝を申し上げますとともに、今後益々の充実と 発展を、そして地元市民の皆様のこの大会へのより一層のご支援・ご協力を祈念しております。
<第1回西日本中学駅伝競走大会に至るまでとその後の経緯>
平成13年 7月~ 圓佛会長年度 有志による検討
平成14年 2月 創立50周年準備委員会設置
7月~ 宮崎会長年度
11月 創立50周年記念事業に決定
平成15年 2月 創立50周年実行委員会設置
5月 第1回西日本中学駅伝競走大会実行委員会設置
平成15年 12月~ 第1回~第4回まで、12月開催
18年 12月
平成20年 2月~ 第5回~現在に至るまで、2月開催
平成24年 2月~ 第9回~イオン大牟田を発着点とするコースへ変更
平成26年2月2日 第11回西日本中学駅伝競走大会開催
大牟田RC 51年目~70周年 歩み
2004年(平成16年)9月7日
インターアクト大牟田商業高校提唱終結式
2005年2月23日
国際ロータリー100周年記念第7グループ合同例会
(於 御花)
参加人数 217名 (大牟田RC 35名)
2005年4月17日
第2700地区よりガバナー特別賞受賞(西日本中学駅伝競走大会)
2005年5月21日
RI意義ある業績賞受賞(西日本中学駅伝競走大会) 会長/湯村文彬
創立50周年記念事業「人づくり」「街づくり」のため
西日本中学駅伝競走大会の開催に対してのもの
2008年2月3日
第1回国際交流体験茶会
(於 グランドホテル清風荘)
会長/安藤謙治
参加者55名
■国際交流体験茶会の変遷
2007-2008年度の2008年(平成20年)2月3日、第1回目の交際交流体験茶会が開催されました。川上
覃生会長・古賀大策幹事のもと、椛島竹千代国際奉仕委員長の発案、主導により始動しました。当年度の国際奉仕委員会の事業計画に「1大牟
田在住外国人の実態を調べる2(社)裏千家淡交会大牟田支部のご協力を得て、大牟田在住外国人の方々へ日本の伝統文化であるお茶に親
しんで頂く場を提供する。」とあり、当初は近郊に在住されている外国人を探すところから始まり、参加者を確保することにもかなりの労力を費や
していました。一方、淡交会大牟田支部とは暦年の支部長を会友が担われており、淡交会壮年部にも会友が参加している等、当クラブとは親密
な関係にあり、第1回以降本年度第12回に及ぶ当該事業には常に多大なご協力を頂いており、近年では壮年部における会友人数の増加(現
在、壮年部メンバーの8割が会友)も相まって、名分共に共催事業化されております。さて、前述の通り平成20
年に産声を上げた国際交流体験茶会は、その後、未開催の年度(2009-2010年度、2011-2012年度、
2017 -2018年度)や、コロナウイルス感染症の影響により中止となった年度(2020 -2021年度、
2021-2022年度)もありましたが、各関係団体・各位の尽力のもと、また、参加者として地区米山奨学生や地区
交換留学生を迎えることとなるに至って、当クラブの欠かせない国際奉仕事業として定着してきたものです。
2010年(平成22年)2月6日
国際ロータリー第2700地区
第7グループインターシティミーティング主管
(於 大牟田ガーデンホテル)
参加者 約211名
ガバナー補佐 椛島竹千代
ホストクラブ会長 杉健三
IM実行委員長 米倉生法
2014年(平成26年)6月1日
創立60周年記念式典・祝賀会
(於 オームタガーデンホテル)
会長/中尾哲郎
実行委員長/圓佛洋右
参加者/ 191名(来賓66名)
記念事業/
1.青少年論文コンクールの主催
「将来の日本・ふるさとを考える」
応募作品1093作品(小学296、中学205、高校592品)
2.カルタ文化を通しての地域振興・人づくり・まちづくり
・「三池住貞次と日本のカルタ」の再版
市内小中学校に各50部寄贈
・ジャンボカルタの作成
大牟田市立三池カルタ・歴史資料館に10セット寄贈
・大牟田カルタ祭りの開催
2014年(平成26年)6月22日
3.記念講演会の開催
開催日:2013年(平成25年)11月26日
講師:深川純一国際ロータリー第2680地区パストガバナー
演題:「ロータリー・この素晴らしきもの」
4.「大牟田ロータリークラブの基本的な考え方」の作成
5.過去の記念事業の現状検証と修復作業
6.51周年~60周年の物故者追悼会
7.米山奨学生への奨学期間延長支援
表允哲(ピヨ ユンソク)氏(九州大学院 ロボット研究)
2015年6月29日
ロータリーデー実施
占部賢志著「立志の若者へ」を
大牟田市内全中学2年生へ配布(1040冊)
2018年3月10日
国際ロータリー第2700地区第7グループ
第7グループインターシティミーティング主管
(於 大牟田文化会館/新みなと)
参加者 約223名
ガバナー補佐 大坪和彦
ホストクラブ会長 古賀祐輔
IM実行委員長 光山一生
2020年10月13日
大牟田ロータリークラブのホームページ開設
2024年6月1日
創立70周年記念式典・祝賀会
(於 大牟田ハイツ)
会長/奥園渉
実行委員長/光山一生
参加者/ 187名(来賓・招待75名)
記念事業/海洋教育支援事業
1.海洋教育支援事業
・諏訪川カヌー体験・生き物学習(主に送迎支援)
開催日:令和5年5月18日 天領小4年生75名
・三池港ごみ拾いウオーキング(当日協業、送迎支援)
開催日:令和5年6月12日、10月5日 天領小5年生71名・みなと小4年生46名
・三池港港内クルージング(三池港にぎわい協議会との協業、送迎支援)
開催日:令和5年7月13日、8月31日
天領小5年生71名・みなと小5年生48名・天の原小5年生40名
・第1回ICT交流会(台北101RC協力のもと台湾小学校との連携協力)
開催日:令和5年9月21日
大牟田3小学校、台湾2小学校(八斗・鼻頭小)
・ガザミ標識放流(有明漁連との協業、送迎支援)
開催日:令和5年11月20日
天領小3年生87名・みなと小3年生38名・天の原小4年生46名
・第2回ICT交流会(台北101RC協力のもと台湾小学校との連携協力)
開催日:令和6年1月18日
大牟田3小学校、玄海みらい学園、台湾2小学校
2.特別講演会の開催
開催日:令和5年9月12日(火)
講師:灘谷和徳パストガバナー
演題:「大事にしたいロータリーの本質」
3.おおむたアリーナへの太陽電池電波時計寄贈
記念式典において関大牟田市長への目録贈呈式
2024年6月1日
大牟田RC・台北市101RC友好クラブ締結
(於 大牟田ハイツ 白樺の間)
参加人数:33名
(大牟田RC12名、台北市101RC21名)
令和6年6月1日15:00より大牟田ハイツ白樺の間にて大牟田RC・台北市101RC友好クラブ締結調印式が挙行されました。70周年記念式典開始90分前のことで、大牟田RCからは会長幹事、周年実行委員長はじめ歴代会長等総勢12名、台北市101RCからはエンジニア会長はじめとした総勢21名が見守るなか、両クラブ会長挨拶の後、光山周年実行委員長による友好クラブ締結同意書の説明と続き、両会長による締結書調印、披露、そして双方からの記念品の交換、記念写真の撮影で調印式は終了しました。更には同日16:30より開催された70周年記念式典において締結の報告披露が行われました。
大牟田RC・台北市101RC友好クラブ締結に至る経緯 (70周年記念事業との関連を通して)
大牟田ロータリークラブは創立70周年を迎えるにあたり、大牟田市の小学校で推進している海洋教育の支援を宝の海プロジェクトとして立ち上げました。
豊かな地球の象徴である海洋に関する教育は、未来を創る次世代の子供たちが誰も置き去りにせずに暮らすために必要な教育です。
海は多様な生物の包摂性が高い一方で、廃プラスチックなどの環境問題も抱えています。世界が海で繋がるボーダレスであることを鑑みると、その理解を深めることは人が生きていく上で重要な教育となります。
これまでにも海洋は一つとの考えのもとに、大牟田市の教育は佐賀県、鹿児島県、および沖縄県とも学習交流を進めてきました。
同じ海洋教育に力を入れる地域や国同士の絆を深め、地球上で起こっているそれぞれの地域課題を自分ごととして考えることができる子供たちの育成を支援するために、取組みを共有できる海洋教育に力を入れている国の調査を開始しました。
近隣では、台湾が海洋教育に力を入れており、2008年に小中学校海洋教育課程綱要が発効され、教育カリキュラムに海洋教育が導入されて以来、子供たちの海洋リテラシーが非常に高いことがわかりました。
そこで、台湾にて海洋教育の支援をしているロータリークラブを模索し、2022年10月13日に台北市海洋ロータリークラブの楊 晢州氏 (台湾国際ロータリー青少年交換協会 2022-23年度Chairman)Mike氏の紹介を得ることができました。
また、Mike氏より2015-16年度 3520地区パストガバナーの林 華明氏(Venture氏)を紹介して頂き、オンラインミーティングにてプロジェクト概要をお話しして支援の申し入れを行いました。
そして、このプロジェクトを進めるにあたり、前述のお二人方から紹介頂いたのが、台北市101ロータリークラブです。
その後、2023年の3月13日、プロジェクトの共有・協働を進めるために大牟田ロータリークラブのメンバーにて台湾へ訪問して、Venture氏、Mike氏、そして台北市101ロータリークラブのメンバーの方々から熱烈歓迎を受けます。そして今回のプロジェクトの協働の確認とともに、今後の両クラブでの交流についても継続していく方向が打ち出されました。
翌日の14日には3522地区の役員の皆さまにご挨拶し、台湾の八斗国民小学校と鼻頭国民小学校を訪問して海洋教育交流会の趣意をご説明し、日台交流の同意をいただきました。
大牟田市の対象となる小学校は海洋教育に注力している、みなと小学校、天領小学校、そして天の原小学校であり、台湾の小学校との実践交流会に向けて準備を進め、2023年5月26日・更に6月9日のオンラインでのキックオフミーティングを経て、2023年9月21日に第1回目となるICT海洋教育実践交流会を5校にて実施、2024年1月18日には玄海町のみらい学園をお迎えして全6校にて第2回目の交流会を実施しました。
SDGsのゴール目標の達成に象徴されるように、目標達成のためには、世界は一つとの考えのもとボーダレスでの取り組みが重要との認識のもと、70周年記念事業では、体験型学習を通して、学び、考え、視野を広げて地域や世界のことを自分事として捉える地球市民としての郷土愛ある子供たちの育成に繋がるよう日本と台湾のロータリークラブの協働の下、海洋教育支援への取組を行いました。
これらの取組と歩調を合わせるように、大牟田ロータリーメンバーの2回目の訪台、更には台北市101ロータリークラブの訪日があり、両クラブでの交流の度合いが深まって行くと共に、今後の交流の在り方についても協議が繰り返されました。
末永く継続させ得ることを目標に友好締結書を作成し、調印式を挙行すること、締結書の内容に関しては、お互いのクラブの情報交換や各々の国を訪問した際の支援や交流などを確認し、調印式は大牟田ロータリークラブ70周年記念式典同日に行うこととなったものです。